まこっ鑑賞録

読みたい!見たい!と思ったものを鑑賞し、そのまんま感想述べてみるブログ

読書百冊(7)『銀の匙』中勘助 著

どこぞの進学校で教科書替わりに使われていたと名高い小説である。最初に言っておこう。銀の匙は序盤でしか登場しない。しかし、思い出を振り返る1つのスタート地点である。

 

執筆時期及び時系列に従い、前編と後編に分けられている。前編では幼少期の思い出、後編では少し成長してからの出会いと別れが振り返られている。非常に読みやすく、自身の心情と織り交ぜながら淡々と小エピソードが書き連ねていく。

 

主人公は病弱に生まれ、伯母さんの元で育つことになる。気弱で優しく、それでもって頑固な少年であったため、友人とも大して仲良くできず、歪曲した思いを胸に日々過ごしていた。そんな中、お国ちゃんやお蕙ちゃんと出会い、少しずつ世の中の過ごし方や自分の立ち位置がわかってくる。己の弱い部分に正しさを信じ、それでいいやと日常を独自の切り取り方に従って過ごしている。私もたまには幼い頃の純粋さを懐古したりするが、純粋とはそういうものだった気がする。純粋はときに鋭い。そして周りからは歪んで見える。

 

彼は成長してから、少しばかり「歪んだ」思いは抱きつつ、社会の毒気に慣れていった。なんとも思いようのなかった出会いと別れについても、より深く考え始める。人と接するということは必ず出会いと別れを経験するということである。時折切なさを凝縮したような表現が含まれており、美しさを感じる。ラストシーンは大きな展開こそないものの、物語の儚く美しい瞬間を捉えた最高のものと思われる。

 

文全体を通してこの当時の日常風景の描写が事細かにされていて、なおかつそれが適切に選び抜かれた言葉で連ねてあり、色彩溢れる情景が目に浮かぶ。空気の匂いまで嗅ぎ取れるようだ。未来のことや経験しえないことに関してはここまでの表現は不可能であろう。昔を懐かしんだ文を書くには圧倒的にリアルでありそして心を掴む表現が必要なのだと感じた。こうした繊細な表現が巧みに使われているのが教科書替わりになる理由なのかと納得した。

 

余計な起承転結などは要らない。淡々としながらも心を繋ぐ表現が出来るのは本当に素晴らしい。そしてこの物語に出てくる強きものと弱きものの対比を、現代に当てはめて考えてみても面白いと思う。皆がみな強さに向かっているわけでもない。そして平等にならずとも、たとえパワーとしては弱くとも、それぞれの正しさのもとで貫くことの方が大事なのではないだろうか。一人一人の正しさが全体の正しさではないかもしれないが、 きっとそのあたりの調整は世界が為してくれる。

 

げっそりとした気分で過ごすことも多かったため、(強過ぎない)美しさに触れられて、良い機会だった。